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建学の精神

4つちがいの兄などは、小学校の時にであった担任の先生がとても素晴らしくて、お陰で引っ込み思案だった兄が、生徒会などで友達のまえに立てるようになった、等ときくけど、
どうも私本人の問題なのか、小さな頃から学校の先生というのはどうも苦手で、どうにも信用のできない人種でした。

でも、オトナになった現在、お二人の、私が思う素晴らしい学校の先生というものにご縁があって出会い、以来、おつき合いさせてもらっています。

彼女は東京の西の方にある私立小学校に30年以上勤務していました。
その学校は、大正デモクラシーの民間教育運動のメッカでした。民間教育運動のリーダー的学校で、公開研究会には全国から1000人以上の教師が参集していたと聞きます。

(1)個性
   個性は人権であり、教育は個性に即して工夫されなければならない(個性尊重)と捉え、すでに「少人数教育」が提唱されていました。
(2)自主自立
   自主自立が確立されてなければ、個性を生かし守ることはできない。
   それを培う教育のひとつとして「協同学習」を行っていました。
(3)自由平等
   他人の自由を尊重してはじめて、自らの自由を獲得できる。

現在ではなく80年も前の主張です。たとえば少人数教育では「30人クラス」と具体的に書かれているそうです。

そして、彼女はその理念の元、教授法や授業研究を重視していました。
しかし授業を重ねていくうちにあることに気付きます。
同じように教えてもよく理解できる子、理解できない子がいることはあたりまえですが、とりわけ不思議なのは大半のことはできるのに、どうしてもできないものがある子がいることです。
彼女は、もう何十年もまえに、子ども達の中にいる、「発達障害」に気付くのです。

先生の文章から抜粋

「ひとりひとりの子どもが見えてくるようにするための道具とはなんでしょうか?それは「連携」による学際的な視点です。教育という狭い枠の中からは子どもの全体が見えてこないことがあります。発達心理学、脳・神経学などの観点は子どもの認知能力による個体差を知る上で大きな知見を与えてくれます。
私はNPOでの活動、校外の研究会、大学、病院や専門機関と連携を計ることで、多くのことを学ばせてもらい、個々の課題を抱える子どもや親の問題解決に、この「連携」が打破する道となりました。

たとえば、医学において「差」はあくまで「差」という事実であって、欠点や恥ずかしいものという価値観は含みません。たとえば胃腸障害に良い胃腸障害・悪い胃腸障害ないのと同じです。「障害」というものに価値を含まないということを知っただけでも大変有意義なことでした。

「差」を見出すことは、個体差に気づくことです。差別につながるものでは決してありません。ひとりひとりの認知能力の差からくる個体差を認識するには、これまでの「一斉授業」は不変的なものと考えずに、新しく授業を捉え直す必要があります。授業の方法は工夫しだいで無限にあり、対象となる子どもによって方法も無限にあります。子どもを中心に据えてみれば、子どもにあった授業の方法は己と見えてきます。」

そして彼女は、普通学級でははみ出し者、しかし養護学校にもはいれない、「軽度発達障害のあるこども」が、
視覚情報が混乱するとどうなるか、聴覚的情報が混乱するとどうなるかなどを学術的に研究し、その子にあった学習方法、サポート方法を実際に施し、

そして、彼等が実は潜在的に素晴らしい才能に恵まれていることまでにも気付き、その才能を開花させることにもご尽力なさいました。

しかし、教育の聖地であるはずのその私立小学校も、少子化、時代の流れ、教師内の派閥、色々なものに阻まれ、経営的にも難しい時代になってしまいました。

そして考え方の相違から、経営を主に考える大きな流れで、先生は学園から暗に排除されていきます。

先生は後に、遠く中国に旅立たれました。
一つの夢を持ってです。

「tomokovさん、わたしね、中国に行くの。北京には障害者が街にいないのよ。どうしてだと思う?あのね、北京ならまだしも田舎の方なんてもっと、『障害者』は、ウチの中に閉じこめられちゃうんです。世間体とか、そういった偏見のために、勉強したくとも学校にいけない障害児がたくさんいるの。だから、助けにいってきます!」

笑顔で私にそういった半年後に、先生は教師を辞め、本当に中国に行ってしまいました。
北京語もできないのに。
失礼ながら、もう体力的に心配な年齢でもあります。

そしてなんと、その先生が発起人の、ある集会のお知らせが届きます。

卒業生や元教員が中心となったその会は、例のその学園を支援するためにみんなで話し合う、そんな趣旨でした。


っていうか、なかば追い出されたような学校に、なぜにそこまでできるんでしょう?
それは、ひとえに、「学園の建学の精神」に惚れ込んでいるからでしょう。

私も微力ながらなにかお手伝いできればと参加してきましたが、
非常に年代も立場もばらばらな人達、でも学園の力にと思う気持ちだけであつまった人たちです。

なかでも印象に残ったのは、6人の子どもを全員通わせた果物やのおかみさんの話。

「お金持ちだから私立じゃないんですよ、ここの教育がいいから通わせたんです。先生、一回入学金納めるのを見たらいい。なけなしのお金をはたいて、『先生、大事な子どもをよろしくお願いしますよ、私ら一生懸命働いて学費払いますから!』そう思ってるんですよ。・・・・中略・・・先代の父がいつも言っているんですけど、『クレームをもらったら、どんな褒め言葉よりありがたいと思え。』『売り上げがないのを雨とか場所とかのせいにするな』・・・私らはね、お客様に『このメロンがまずかった』って言われたら、生産者のせいになんてできないんですよ。だから先生達も、大変でしょうけど、色々言わても誰かのせいにして逃げないで頑張って欲しい・・・」

また、その学校は小中高12年間、ランチはお弁当です。
12年の子どもが卒業のとき、最後の空っぽのお弁当箱を手渡し、
頭を下げて、「おかあさん、12年間ありがとうございました。」と言ったそうです。

そのとき、本当に苦労して子育てして良かったと、親として感無量だったそうです。

・・・・と、そんないい話満載の会でしたのに、

先の先生が会の中心メンバーだからか、やはり派閥による政治的な介入があり、一般に情報が流れないようになったのでした。

残念なのは、そこここに、話し合い、議論のチャンスが転がっているのに、本当に来るべき人が来ない。

そして、気持ちはあるのに、情報はあったのに「危険分子」というレッテルが怖くて来ない。

誤解を解くには目で見て確かめて、そしてそこで議論すればいいのにな、と強く思った次第でした。

最後に。

北京に旅立たれた先生と同じ思いの、もう一人の私の大尊敬の先生、彼女が帰り際に言ったこと。

「tomokovさん、思っていることを言えるのが、この学園の良いところなのです。どうか、来たかったのに来れなかった方に伝えてください。」

彼女も退職をかけて戦っています。

教育のために、身を挺して戦う教師がいまどき日本にどのくらいいるでしょうか。

日本の教育の宝を失ってはいけない、そのために何か力になりたいと強く思います。

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コメント

公立小学校に教師です。
現実的に、システム化されている学校で、
理想を追うのは無理なのが現状です。
先生のように理想のために戦う方がいらっしゃるとは、勇気が出る思いです。
ありがとうございました。

投稿: 田舎教師 | 2006.05.19 18:36

tomokovさま

一緒に参加したちまきです。
本当に素敵な会だったよね~。
で、先輩にお借りした「さかだち学級」を
読んでうるうるしています。
あ~こんな学校に通わせたい!!!!ってつよ~く
思ったよ。
って、この学校がモデルなのにね。

きちんとケアして育んでいかなければ
教育理念も、人もやっぱり、ぶれていくのか~。
本当に私もいろいろ考えた一週間でありました。
寝てても考えちゃうし、、、。

今日も元気に頑張りやす!

投稿: ちまき | 2006.05.20 06:41

☆田舎教師さま

出る杭はうたれる、しかし出過ぎた杭はうたれない。
こう思っても、守りに入ってしまうのが現実ですよね。
でも、ここはだけは譲らない、というプライドはもっていたいものですね。

☆ちまき様

教育も、宗教も、学問も、やはり人の手に渡るとどんどん変わっていくものですね。
しかし、温故知新といっても、理念という守るものは守り抜くべきです。

投稿: tomokov | 2006.05.21 19:52

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